2016年6月10日金曜日

イヤホンをかえた

show by rock に SADAME という曲があって、とても気に入っているのだけれど、聴く度亡くなった母方の祖父の事を思い出して辛くなる。単純に、祖父が亡くなった時にずっと聞いていたので思い出すだけだ。音楽が聞けるようなものは、携帯しか持って帰らなかった。

朝一に、母から危険な状態だという電話を貰ってすぐ、準備もそこそこに家を出て、緑の窓口にイラついて、新幹線に乗って(この時や実家などで聴いていた)、ローカル線に乗り継いで、タクシーで病院までいって、受け付けで祖父の事を聞いた頃には、もう祖父は亡くなっており実家に移されていた。後から聞いたところでは、母が病院から連絡を貰った後、割りとすぐ亡くなったらしく、徒労だった。どの道、自宅から病院までは四時間弱かかるし、間に合うとも思っていなかったけれど。だったらなんで無理して朝一に家を出たのかと言われても、よくわからない。でもそうでないと納得がいかなかった。
弟はいつも通り、昼過ぎに帰っていた。あんまり違うから比べられることも余りないけれど、兄弟で要領がいいのは確実に弟の方だと思う。
そのまま病院から歩いて実家まで帰ったら(病院は病人のボクでも余裕で行ける程度に実家から近い)、葬儀屋が母と何やら話していた。適当に挨拶して、亡くなった祖父を見て、その前に帰省した時と同様に、痩せたなあと思った。最期に会ったとき、お互いもっと食べないといけないという話をしたけれど、ボクの方は相変わらずだ。ベッドの上で一日の殆どを過ごしているにも関わらず、体型が変わっていないのは結構すごいのではないか。実際には筋肉が痩せまくってるんだけれど。

帰って祖父の顔を見るまでの事はぼちぼち覚えているけれど、その後の事はあまり覚えていない。薬の時間も無視して飛び起きて実家まで帰れば、当然体にそれなりの負担がかかるわけで、そのままダウンしていた気がする。その後も体調は順当に悪くて、諸々終わるまでずっと痛みと戦う事になった。痛みはこっちの都合なんて知らないもんだから、十分に悲しむ暇もくれなかった。

最近イヤホンをまともなもの(といっても安物だけれど)に変えた。なんか鳴ってるなあ程度だったリフはちゃんと聞こえるし、ベースもはっきりと聞こえる。ろくに聴こえてなかったおかずもコーラスも聞き分けられる。なんでも一定ちゃんとしたものを使わないといけない。SADAME はまだましな方で、曲によっては完全に聴こえ方が違いすぎて、こんな曲だったのかと思うこともある。

記憶もお金の力でくっきりとできればいいんだけれど、何もかもどんどん曖昧になっていく。葬式の後は何を食べたか、焼却場まで向かうバスから何を見ていたか、骨壺にどの部分の骨を入れたか、坊さんはなんといっていたか。骨壺を祖母がお寺に忘れそうになっていたのはよくよく覚えている。

痛みが酷いと意識も曖昧になる。悲しいだとか憎いだとかいった感情の一切もなくなって、痛い以上のことを考える余裕がなくなる。時間感覚も狂う。命に関わる病ではないけれど、こんなになったら普通はそりゃ死ぬよあな…と似たような病気で自殺したアナウンサーの記事を稀に見るたび思う。病名で検索しても、最近は検索結果に出てこなくなった。そもそも近いだけで同じ病気じゃないから当然という気もする…鬱になったり自殺したりする人は結構いるらしい。そもそも診断がつかず病院をたらい回しみたいなことになりがちな病気なので、潜在的な数は出てる数字よりもそこそこ大きそうだ。ボクは五年も経つというのに未だにしつこく生きている。希死念慮は痛みですり減って、縮こまってしまったのだろう。生きるのも死ぬのも難しい。

特にオチ等はない。